Chusさんトークイベント「ローカルが変わっていく本当のところ(那須のChusの始まりとこれから)」

 
2017年7月13日に発酵暮らし研究所&カフェうふふで行われたChusさんを迎えてのトークイベント、
「ローカルが変わっていく本当のところ(那須のChusの始まりとこれから)」


【ローカルへの憧れから那須朝市の立ち上げ】

宮本吾一(以下吾一)
「初めまして。Chusというお店を営んでいます。
寺田本家さんのお酒を取り扱わせていただいていて、今日はぜひ勉強させてくださいとスタッフと一緒にまいりましたが、優さんがせっかくだったらイベントしようということなったのでお話させていただきます。
ローカルのところでなにができるかなってところで取り組んでいますので、きっと寺田本家さんも同じような取り組みをしてると思うんですが、ローカルとローカルでなんかちょっと違うとこあって、でも同じだよねって見つけてもらって、みなさんと対話ができたらいいなと思っています。
いまそこにいるのがChusのスタッフです。


まずは、自己紹介からします。宮本吾一といいます。実は東京生まれで38歳になります。両親が牧師でして、子供の時からいろんな教会を転々としながら東京の中だったり北海道だったり2年おきに育ってきたんで友達ができたと思ったら、別の場所に行かないといけないとそんな育ち方をしていました。

高校時代に渋谷の高校に入ってたんですが、どうしても満員電車に乗るのがいやでいやでしょうがなくて、学校の先生に高校に行かないことを怒られた時に、電車がすごい混んでいること自体が納得がいかないという話を先生にしたんですね。
たとえばですけど、そこのテーブルに椅子が4つあって、4人の方がそこに座られていますけど、それが僕は定員だと思うんですよ。で、ここに250%ということは10人くらいの方に、そこに座ってくださいっていったら誰だって嫌だと思うんですよ。それなのに満員電車だけは押されるんですよね。背中を。それっておかしくないですかって先生に言ったら、俺もそう思うって先生が言ってくれて、でも学校には来なきゃいけないよねって話になって、でも電車に乗らなきゃいけない仕組みがあるなら、僕は学校に行きませんって言ったら、先生がもうお前卒業しろって単位をくれたんですよ。その当時はそれがありだったかどうかわからないんですけど、本当に学校に行ってなかったのに卒業できたんですよね。ただ、そういうことがわかってくれる人がいるんだなってことと同時に、東京の人の多さに違和感を感じていたのが、那須に移住するきっかけになりました。

みなさん那須ってどこか分かりますか?
結構みなさん分かってくれてるみたいですね。
じゃあ、特に那須の説明はいいですかね(笑)」

寺田優(以下優)
「その前に、オーストラリアってなんですか?」

吾一
「オーストラリアは高校を卒業したらとにかく田舎に行きたいって思って、」

「広いところに行きたいと?」

吾一
「そうですね。自然がいっぱいあるって聞いて行ってみたら本当に自然がいっぱいあって、で車を買ってオーストラリア大陸を一周したんですけども、まあ自由なんですよね。ここで寝ようと決めたら寝れるし、西オーストラリアの上の方にも行ったんですけど、お腹が空いたら浜辺に行って引き潮になると冗談じゃなくって魚とか落ちてるんですよ(笑)。でそれを拾ってバケツに入れて煮たり焼いたりして食べてたら、これって全然お金かからないなとなって、そういうことが原点になっていますね。
タコとかも落ちているんですよ。だからたこ焼き作ったりとか(笑)。

でそういう生活に慣れてきた時に東京に帰ってきて、あまりにも落差があって、これはダメだと思って、どこか田舎に行こうと思って、たまたまリゾートバイトで行ったのが那須高原だったんですよ。」

「それが那須との出会いですか?」

吾一
「そうなんですよ。
それでいろんなバイトをしながら人とつながっていきました。
Chusをやる前にも別のお店をひとつやっていたんですが、そのときに別の事業者の方とマルシェをやることになって、この経緯を一緒にChusで会社を立ち上げてくれた猪口さんに説明してもらおうかと思います。」

猪口尚久(以下猪口)
「あの、猪口と申します。普段は那須高原の道の駅の近くで手作り味噌の製造と、栃木の地酒を中心とする酒屋を夫婦で営んでいます。
Chusは立ち上げのときから関わっています。もともとはサラリーマンをやっていまして東京に新幹線通勤とかして、那須から通っていたんですが、途中から味噌を作ろうと味噌屋を始めました。そのころ、ちょうど震災のころに吾一くんと衝撃的な出会いをしました。

震災があって地域がどん詰まりな状況が目の前にあって、なんかできることないかってワークショップをやるときにメンバーの中に吾一くんがいて、そのとき吾一くんは店長をしていたハンバーガーショップの店先でひとりで朝市をやっていて、震災後にそれを復活させたいと言ってて、一人でやるのは辛いから一緒に手伝ってくれないかという話を持ちかけられて。で、どうせやるならドンってやる方が面白いよねって話になって、仲間に声をかけながら那須朝市をやることになりました。どうせやるならしっかりやった方がいいと、毎年重ねていくうちに仲間が仲間を呼んで規模が大きくなり、最終的にはそこにあるように5000人の方が集まるイベントに成長していきました。
で、いろいろあって、最初はハンバーガーショップの駐車場で密集してやっていたんですが、だんだん地域の町役場の方からご協力をいただくようになって、道の駅でやったり廃校の小学校でやったりと発展していきました。」

「今も続いているんですか?」

猪口
「いや、去年までやってたんですが、やっていくうちにだんだん疲れもあったり、それぞれ関わっているメンバーも自分の職場でも職責が上にあがってきて、置かれている立場が良くなっていたんですね。それぞれの店も業績がよくなってきて、那須も活気に満ち溢れるようになって行ったんですね。
で、毎年那須朝市を続けていくうちに前回の年のことをトレースするようになってきたんですね。始めたときはどうだったかって言うと、面白そうだからやってみようよとか、やってみないとわからないじゃんって前のめりな雰囲気があったのが、いつのまにがやることに意義がある的なことになってきて、本質的なことからずれてきた感じがしたんですね。でChusもはじまったし、自分たちが楽しんでいこうと言う気持ちを大切にしようということで一旦休止ということになっています。」


【yado×table×marche=chusの始まりと黒磯というバックグラウンド】

吾一
「で朝市をやっているうちに、自分たちでもやりきれないことがでてきてしまいました。イベントってすごい疲れるんですよね。自分たちの仕事をしながら夜な夜な集まって準備して、とても疲れます。すごく面白いって想いが動機としてあったときは頑張れたんですが、だんだん飽きてきちゃったというのが正直なとこです(笑)。

で朝市やってるときに、いまでも忘れないんですけど、野菜を買いに来てくれたおばちゃんがいたんですよね。たまたま僕はそこにいて、そのおばちゃんが、「こんないいイベントだったら毎日やりなさいよ」って言われて、「そしたら毎日行ってあげるわよ」とか言われたんですよ。
いや、どんだけ準備してるかわかってないんだな、このおばちゃん!とか思って、ちょっと文句の一つも言いたくなったところがあったんです。でもよくよく考えてみると野菜っていうのは毎日買いますよね?で、生産者の人たちも毎日売りたいとか出さなきゃいけないって状況があって、僕らは年に2回しかやっていなかったんですよ。で、それだけでも精一杯やってたんですけど、よくよく本分はなんだろうって考えてみたら、生産者の人たちが売り場を作り、地元の人たちと繋がりを直接持てるような場所を作りたいって思いでやっていたんで、そのおばちゃんが言っていることは、多分正しいんだろうなって思って。
 
とはいえ、猪口さんはお味噌屋さんであったり、僕は飲食店をやっていたんで、これどうしたら毎日、毎週できるかなって考えたら、これは実店舗化させればいいんだなと思って、イベントじゃなくって店舗として運営していって、毎日のように働く人がいてくれて毎日のように運営でいたら、農家さんは毎日のように野菜を持ってきてもらうことができるし、買い手も毎日野菜を買うことができて出会う場所にもなるし交流する場所にもなると思って作りました。
Chusという名前の店です。

でここにあるんですが、HPのトップページの写真ですが農家さんの手です。しわがあったり爪の中にも何か残っていたり汚い手ですが、この二つの手から美味しいものができるんだなっていうことを僕らはいつも感じていなきゃいけないんだなと思って、HPの頭にのせていつも感じるようにしているんです。ただのお店っていうよりも、 人の手によって作られたり、人と人がつながることによってできるようなそんなお店ができたらいいなと思って始めました。

で、「那須の大きな食卓」って言葉を朝市の時から使っています。今日のこの場と同じ感じなんですがテーブルがあって、食事が出てきてそこで交流ができる場所っていうのを意識して作れたらどうかなあと思ってたんですね。背景が生産者の方であったり、小さいお子さんがいるお母さんであったり、高校生であったり外国人であったり、いろんな人たちが世の中にはいるわけで、そこを一つのテーブルを使って繋げる役割になるお店を作れないかなと思ってChusという店に挑戦しています。

結構大きいお店なんです。100席ぐらいの飲食店「table(テーブル」と、「Marche(マルシェ)」とよばれる直売所と「Guest house(ゲストハウス)」と呼ばれる宿をやっています。食事はできるだけ地元の生産者さんから買い上げた野菜やお肉などを使っていますが、じつはこの写真は鯖なんですが、例の越田商店さんの「ものすごい鯖」です。これがコンセプトの一つの「table(テーブル)」と呼んでいます。

でもう一つ、直売所には毎朝地域の野菜が直接生産者さんの人たちから届けにきてくれる場所があったりとか、この写真はヨーグルトなんですけど、那須は生乳の生産量がたくさんあって、牛乳やチーズやヨーグルトがたくさんとれる場所なんですね。こういう食べ物とか、あとはケチャップとかあります。で、月に一回農家さんが集まっては店頭で、小さいマルシェをやったりしています。実際に農家さんが毎日来てくれるんですけど、買いに来た方が農家さんに毎日会えるかっていうと、頻度的にはなかなか難しいとこなんですけど、それでも農家さんが毎日来るってことを担保しているってことは僕らの中ではとってもいいことであって、つなごうとおもったらいつでも繋げられる、僕らはハブとしていられるんだなというのが「Marche(マルシェ)」の機能です。

であと、実は去年の7月からゲストハウスっていう安宿を始めました。ドミトリー(相部屋)を作ったり、あと個室もあるんですが、ホテルのようにテレビも水道もシャワーもないベッドだけの部屋にして、シャワーとかは共用の部分でみんなで賄ってもらおうと、と思っています。とにかく、人と人が共有することでわかちあうことができる場所をわざと作って交わるような仕掛けを作っています。

で、宿というのは東京とか都市部に対抗できるやり方だと思ってまして、宿を作ることによって食事をする回数が増えるんですね。
1泊2食って言いますけど、実はその日のランチを食べて夜ご飯食べて、次の日の朝ご飯食べて、昼ごはん食べて帰る。もしかしたらその日の夜も食べた帰る方もあるから、計5食食べるってことは、5回生産者の人たちの食材を食べていく機会になるんですね。もし宿がなくって、日帰りだったとしたら、多分昼前に来て昼ごはん食べて、夜ご飯食べるかなあぐらいで帰ると思いますね。つまり、1.5くらいの機会しかないのが、4から5に一気に増えるということで、機会の創出には宿というのは役立つんじゃないかなと思っています。

あと、僕らの住んでいる町は黒磯と呼ばれていた町で市町村合併して那須塩原って町になったんですけど、僕らは黒磯と未だに呼んでいます。Chusの周りにはすばらいしいお店がたくさんありまして、SHOZOさんってご存知ですか?結構有名なコーヒー屋さんがあって、それがChusの2軒隣のすごく目と鼻の先にあったりとか、」

「SHOZOさんの2軒隣に出そうと思ったのはなんでですか?」

吾一
「いや、たまたま空いたんですよ。そこが。」

「家具屋さんだったですよね」

吾一
「そう、家具屋さんが閉店セールって看板を出していたんで、閉店するなら貸してくださいって言いに行ったら、譲ってくれるって話になって、でっかい家具屋さんで延床で1000平方メートルぐらいのビルだったんですよ。そう場所でやるならいろんな機能を持たしたほうがいいなと思ってやりました。

町自体の器が面白くて、SHOZOさんっていう一軒のコーヒー屋さんが30年前にその町にできて、その町に服屋さんができたり、家具屋さんができたり、生活道具やさんができたりして徐々に町にそういう居場所が出来上がってきました。どっかいこうってなったらそこに行こうという場所ですね。で、そうこうしていくうちに、この10年くらいでイケてるお店が増えてきたんですね。」

「パン屋さんとか」

吾一
「そう、パン屋さんはKANEL BREADさん。ここにあるのは併設されたコーヒー屋さんなんですけど。

「ってことは、地域にコーヒー屋さんはいっぱいあるんですか?」

吾一
「いっぱいあります。tamiserさんは生活道具やさんですね。東京にも一軒あるんですけど、素敵でしょ。タクシーの会社の整備工場だったところなんです。」

「こういうお店が歩ける範囲内にあるんですか?」

吾一
「そうなんです。全部歩ける範囲で、半径1キロ内に20軒くらい素敵なお店が集まっています。で、どの店舗にも共通できてるのが、SHOZOさんの外観のように、建物の正面外観を一切じってなく、リノベーションして作っていくということ。だから町並みとしては昔のまんま残っていて、中に入るといいじゃんみたいな、そんな感じですね。
そういう生活に根ざしていて、街にうまく溶け込むようにお店をやっていますね。

でですね。そんな素敵なお店たちとまたマルシェをやろうと画策していまして、お店をやりながらも自分たちに出店してもらって、たまに夜市なんかもやっています。
新しい仕掛けが面白いと思うのが、マルシェをやってお店(Chus)ができて、今度はそのお店の周りと連携してでまたマルシェをやるっていうのが不思議なマルシェづいた流れてなっています。

あと、最近ぼくらは裏那須という言葉をよく使っています。那須の地域外の人は那須って言葉はみなさんご存知ですが黒磯って知らないんですよね。だったら黒磯じゃなくって「裏那須」って呼んだらいいんじゃないかって思っているんです。
 
表である那須高原は観光地の那須街道があって、動物園や遊園地などの大きい施設などがあり、マスメディアの情報をご覧なって来られるご家族連れの方などいらっしゃってて、一方で、先ほどご覧いただいたように、古い建物をリノベして生活に根付くような考えを持ってやっている店があって、それって二極化してて僕は結構面白いと思っているんですよね。遊園地とか動物園とかいわゆる大衆に対しての受け入れる楽しい場所もありながら、ちょっとふっとはいると、まるで裏路地に入ったかのような陰と陽でいうと陰の部分が、車でいうと10分くらいで行き来できる距離感であるんですね。
そんな街ってとっても珍しくって、魅力に変わっていくんじゃないかな思っています。
「黒磯」っていうと那須高原と行政地区が変わって情報がばらばらに発信されてしまうので、来る人にとってはそんなの関係なくって、那須と同じだと思って来るんです。でも情報が届かない人にとって那須っていうフレーズがフックできるような言葉がないかなと思って、裏原の真似をして裏那須って名前で伝えていったらどうかなと。」

【ゴールは強いコミュニティ作り】

吾一「
最後になりますが、ぼく自身の思いとして、地域で生きることってどういう意味があるかなって考えたんですけど、自分が暮らす場所をよくしたいって、今日来た皆さんも思っていらっしゃると思うんですが、どうしたらいいかなと思って、じゃあ行政がやるのを待つかというのと、誰かがやるのを待つかというのとかじゃなくて、まず自分たちでやってみるということを念頭に置いたらどうかなと思って、マルシェ作ったりお店作ったり、それぞれ皆さんやることも違うと思うんですが、いま目の前にあることをやってみるというのが大事だと思ってます。でも、それやってみるとできないんですよね。一人じゃ。

じゃあどうしたらいいかなと思ったら、頼ればいいんだと思って、猪口さんにもマルシェやりたいんですけど一緒にやってもらえませんか?って言ったら手伝ってくださとか助けてくださいとかいうと、「いいよ!」っていってやってくれる人がいて、じゃあ何々さんお願いしますとか何々さんもお願いしますとかやってると、どんどん人が溢れてきて、膨らむようにつくっていくと、実は大きな流れにつながっていくんじゃないかなと思っています。マルシェを作ったりお店を作ったりっていうのがゴールではなくて、じつはコミュニティを作ることが一番の価値だなと思ってて、仲間を作るとかっていうことです。

今日もこうやって優さんとイベントさせてもらうっていうのもそうなんですが、なにか同じ価値観を共有できて繋がりを作っていくってことがとっても大きいことだなと思ってます。それを同じ街や同じ地域で作っていけばいくほど、とても大きな力になると思っています。
それが地域が自分が暮らす場所になるための一つの軸になるんじゃないかなと思っています。コミュニティを作るように何かをやっていけば、自分たちの暮らしってすごく豊かになっていくんじゃないかなと思い、いまマルシェからChusになりまたマルシェに戻ってきてるのも、じつはコミュニティを作るってことの必然だなと思ってます。
話としては今日はこんなところです。
ありがとうございます。」

「いろいろと聞きたいこともたくさんあるんですけど、Chus始める時ってかなり規模の大きい仕事ですよね。お金もかかるし。」

吾一
「そうなんですよ。自己資金というのが店やる時に必要なんですけどぼくは原資となるお金は一銭もなくって、ほぼ0で、そんときの貯金が30万くらいでした。でもやりたいんだよって言っちゃったんですよね。マルシェを始めた時のように、猪口さん一緒にやりませんかって言ったんですよ。でもぼくお金ありませんけど、って(笑)。

でも面白いのが、そんなのお金ないならやれないよって言われると思ってたんですよ。言われたらどうしようと思って、いっぱいいろいろ考えて、こう言われたらこうだから大丈夫だよって言うことを紙にまとめてきて傍に持ってたんです。で6人に一緒にやってくれないかって頼んだら6人とも、やろうやろうって言ってくれたんです。一切説明聞かないで、やろうって言ってくれたんです。今回はお金がかかるし、マルシェやってるときは、ボランティアで動けばなんとかなるし、年に2回だから、取り返しがつくんですよね。だけど、事業にすると、結構リスクありますよって言おうと思ったら、向こうが上手だったという話なんですけど、やろうやろうって言ってくれたんです。」

猪口
「やらないほうが損をするって思ったんですよ。そりゃいろいろ考えましたよ。そのときは、自分も店を始めて3年くらいだったから、自分の店でも結構借金してて、こけたときの痛手はでかいなと。悩みは大きかったけれど、なによりも勝ったのは、やらないことの後悔と、損しちゃうんじゃないかなていうのが先に立って、お金のことはなんとかなるかって、楽観的な考えでやるやるって言っちゃいましたね。」

「最初にかかるお金もあるけど、始まったら、経営ですよね。そこはうまくいく自信はあったんですか?」

吾一
「えっとー、自信はありました。なぜかっていうと、その前にマルシェをやって、数千人規模の人が来てくれたってことよりも、コミュニティができてたんですよね。例えば、生産者さんだったり地域の施設のオーナーさんだったり、困ったら助けてくれるだろうなって人がたくさんいるっていうのがあって、本当に電話1本で助けてくれたり、困ったら相談にのってくれる人がたくさんいて、ここに行き詰まったら、この人に行けばいいかなっていう引き出しが、マルシェをやっていく上でたくさんあったので、なんとかなるだろうというのはありましたね。そういう意味での自信はありましたね。」

「で、実際うまくいった?今、3年目くらいですよね。」

猪口
「うまくいってるかどうかはわからないよね。大きな痛手は被ってない。こうなったらいいなあと思うところに近づいてはいるけど、毎回いろんなところでつまづきはあります。」

吾一
「でも、今日一緒にスタッフが来てくれてますけど、昨日も一昨日も毎日のように、ヤベ!どうしよう?みたいな話はしていますね。毎日のように考えて考えて考えてやってますけど、じわじわだけど、一歩ずつだけど階段登っている感じはしますね。」

「(Chusが始まったとき)ます最初にマルシェとカフェやって、それから時間差で宿をはじめましたよね?」

吾一
「そう、お金が無かったのが正直なところで、いっぺんに三つやるのに具体的な金額だと5,000万円くらい掛かるってのがわかって、そんなお金どこにも無いなってのがあったんで、」

「貯金30万でしたもんね」

吾一
「自己資金なく始めたんで、それをやるには稼ぐしか無いなと思って、1年半企画をずらして、一階部分に飲食店とマルシェがあるんですけど、そこだけ運営して、1年半やった後に2階3階がゲストハウスとしてオープンすることができたっていう感じです。」

「ゲストハウスやるときにクラウドファンディングで募集してましたよね?」

吾一
「あれは純粋にお金が無いからというのが理由ですね。クラウドファンディングはみなさんご存知ですよね。クラウドファンディングは事業が開始することを担保されてしか始められないんですよ。これだけお金足り無いから皆さんお願いしますってみなさん言うんだけど、それ実は例えば、「ゲストハウスをやります!」って言ってお金集まりました。
でもやれませんて言えないんですよ。クラウドファンディングで集まったのはゲストハウスをやるためのすべてのお金では無いわけで、他がコケていたら結局事業ってやれないじゃないですか。でもやれるかどうかわからないっていえないじゃないですか。あれって。だから、絶対やれるってことを担保してからでなきゃ本当は集めちゃいけないんですけど、マジでやれなかったんですよね。そこが。お金なくて。で、結果お金集められたんで、本当に皆に協力してもらってできあがった宿だなっていうのが、」

「かつかつなところだったんですね。」

吾一
「今もかつかつですよ(笑)常にギリギリですね。今もですよ!」

「クラウドファンディングを利用したことでの広がりっていうのはありましたか?」

吾一
「そうですね。オープンする上で、例えばじゃらんとか楽天とかに出そうとは思ってなかったんで、別な業態のエージェントには出したいなとは思っていたんですが、大きいところに出すと、マスに向かって伝えないといけないことになるので、それはちょっとやりたくなかったんですよ。

それでどうしたら周知させることができるかなと思ったときに、クラウドファンディングって仕組みと出会うことができて、知ってもらうことが大きいなと思って、こんなイメージでこんな思いでやりたい宿なんですっていうのが伝えたくて、それに共感してもらった人が直接支援してくださる。支援イコール宿に泊まるってリターンがあったりとか、野菜送りますよってリターンがあったんですけども、それに対しても魅力を持ってくれる人が常につながるんですよね。直接繋がるってくれる人たちとお金のやり取りができるっていうのが、とってもいい仕組みだったと思います。」

「改めて、宿とレストランとマルシェ機能っていうのが一緒になってて良かったことってありますか?」

吾一
「ありますよ!こういうイメージだったんですね。相互作用があるなと思っていて、例えば農家さんが野菜を持ってくる「Marche(マルシェ)」があって、その野菜を使った料理を「Table(テーブル)」で食べてもらって、食べてもらったから美味しいから野菜を買うっていう、そういう流れがあったりとか、で宿に泊まってくれるとご飯を食べて、美味しかったから野菜を買って帰るって、お互いがお互いを補助していく感じができるなというのと、大きな食卓ってコンセプトで始めたんですけど、地元の人、観光客、SHOZOさんって有名なんでSHOZOさんに来る週末のお客さん、あと宿やると外国人も来るだろうっていうのがあって、田舎で背景が全然違うところがミックスするっていうのが面白いなっいうのがあって、それには宿が必要だし、地産食材も売ってますよっていうマルシェが必要だし、それをうまいこと混ぜ合わせるような仕組みが三つの機能を持つことによってできるんじゃないかなと思って始めたんですよね。」

猪口
「ビジネスの方も以外といるんですよね。出張で来て泊まる方とか」

「へえ!そうなんですか!?想定してなかった方ですよね?」

吾一
「いやでも、始める前にゲストハウスを回ったんですよね。いろんなところを勉強したいと思って。蔵前にnuiってところがあってそこに行ったら以外とビジネスマンがいて、最近すごいんですよ。そこってバーが併設されていて外国人とかいっぱい酒飲んでいるんですけど、そこに混ざってスーツ着てスーツケース持って来る人がチェックインしてるんですよね。
地方から東京に出張に来て、ビジネスホテルに泊まるにはつまんないから、どうせならって人と、あと多分その人たちは元々バックパッカーだったりとか、いい格好してるけど実は放浪してたとか、結構潜在的にいっぱいいるんじゃないかと思って。」

「いや面白い!きっと黒磯って場所でSHOZOさんができる前できた後って随分違いがあるんじゃないかって思うんですよ。で、こんどChusができて3年目で黒磯がどう変わったっていうのはいかがですか?」

吾一
「いやーどうだろうな?じゃあ小林くんどう思う?
一番新しいスタッフなんですよ。だから客観的に見れるかなと思って。」

小林
「そうですね。僕はもともと山形の生まれで、東京にいたんですけど、で、そのときにSHOZOさんって素敵なお店だよって聞いて、それがきっかけで黒磯に行くようになって、そのときはまだChus無くって、で、それで途中で何回も来ているうちにChusができて、そのときはなんか新しいお店ができたなってくらいだったんですけど、それがどんどん宿ができて、入口や前も新しくなっていったりして、なんかそれまではSHOZOさんがあってそういう雰囲気だったのが、なんか違う空気が入ってきている感じというか、それが僕が入るタイミングのときに感じていて、なんかちょっとこれから面白くなりそうだなって空気がありました。」

「街が動いているって感じですかね」

小林
「そうですね。違う文化がうまれているなって感じですね。」

「で働くことになっちゃんですね?」

小林
「そう面白そうだなと思って。SHOZOさんも素敵なお店なんですけど、そっちで働くよりもChusって面白そうなお店だなって惹きつける魅力みたいなのがあって、それでちょっとここで働いてみたいなのがあったんですよね。」

「Chusの中の組織っていうのも聞いてみたいんですけど、みんなやりたいって人が集まっている感じですかね?」

吾一
「そうだよね?(爆笑)」

「働いてくれる人はどうやって集まっているんですか?」

中村
「シェフをしてます、中村です。もともとChusで働く前は新島のsaroで半年間だけ働いていたところ、そこに吾一さんがハンバーガーを毎年売りに来てて、で那須で面白い店を来年やるからって聞いて、そん時は、はあ頑張ってください(笑)って思っていたんですけど、その時那須には行ったことが無くって。新島の半年の仕事が終わった時にsaroのオーナーがChusに関わるって決まっていたんで、一緒に行きますかって誘われて、そっから那須に来るようになりました。出身は東京なんですけど。なりゆきが半分ですね。」

「地元の人よりも東京とか、外からの人が多いですかね。」

吾一
「そうですね。今日のメンバーは栃木県出身の人はいないですね。」

「なんでですか?」

吾一
「地元の人はパートさんとかいてくれるんですけど、ぶっちゃけたところ感度が高いんですよね、来てくれてる人たちは。で地元の人たちってChusが何をやろうとしているか、わかっていない人が多いというか、ここの香取はどうかわからないですけど、栃木の那須って高校を卒業すると大学とかで東京に行って帰ってこない人って多いんですよね。言うと、感度が高い人は東京に行ってて、感度が高くない人は地元に残るって住み分けがあるんじゃないかと思ってて、そこで働きたいとモチベーションになるまで一回東京に行かないと伝わらないんじゃないかなというのが正直なところです。そこじゃないかなと思っています。
だからが故に、県外から来る。」

「働きたいって来てくれる人は多いですか?」

吾一
「ちょいちょいあるんですけど、僕、面接を4時間くらいするんですよ。いま働いてる人たちは、面接やってそれを乗り越えてきた精鋭達なんですよ。面接ってどう思いで来てますかとか、なんで仕事したいんですかとか聞くと思うんですけど、逆で僕は語るんですよ。どんな思いでどんな風にしていきたいけど、それ一緒にやれる?って話を4時間くらいコンコンとすると、みんな「辞めます」って(笑)。

去年は小林くん以外全員辞退ですね。働いて欲しいって僕は思ってるから言うんですけど、「無理だ」って辞められる方ばっかりですね。それでもやりたいって思ってくれる人は残ってくれる人が多いっていうか、ずっと一緒に働いてくれる仲間を作っていきたと思って、コミュニティを作りたいと僕は強く思ってて、働いてもらった後にやっぱいいやって思うような人は、働いてもらわなくっていいやって僕は思っているんですよね。だからそれくらい強い想いでやってほしいって面接の時に僕は言うので、もしかしてやってみてだんだん良くなっていく人もいるかもしれないけど、そのやってみてだんだん良くなるための時間をスタッフが教えないといけないとしたら、それはスタッフに申し訳ないと思うから、それなら僕が4時間コンコンと言ったのに乗り越えるくらいの気概があれば大概乗り越えてくれるだろうなと思ってやっています。」

「そうやって精鋭が集まっているわけですね。
今日は、スタッフの皆さんも交えてお話を伺うことがでして、こんな貴重な機会はおそらくもうないだろうと思います。まだまだお伺いしたいことはたくさんありますが、時間も参りましたんでここまでにいたします。
本当に今日は有難うございました!」